「平等」が邪魔をする

どんなことに対しても平等が叫ばれるようになっています。特に教育の世界においては、子供同士を競わせることがあまりなくなっているといいます。

かつては、義務教育の段階でも成績に順位が付けられて、壁に張り出されることもありました。スポーツなどでも同様です。

良い成績を収めることができれば称賛を浴びることができます。しかし、成績が悪いと劣等感を持ってしまったり、いじめの対象になってしまうという理由からこういった風景は姿を消しつつあります。

平等にすることの意味

確かに、誰もが平等に幸せに暮らす権利はあります。しかし、競争を奪ってしまうことは子供が成長するチャンスを奪ってしまうことにもつながってしまいます。

努力をした人と、何もしていない人が同じように扱われるのでは不公平だと思いませんか?これでは、だれも努力をしなくなってしまいます。かつては、張り出される成績ランキングの順位を少しでも上げたいと勉強に励む子供も多かったですし、スポーツで好成績を収めるために必死に練習する子供の姿も見られました。

誰もが平等とされることによって、こういった子供たちの姿はあまり見られなくなってしまいました。

平等の矛盾

しかし、このように育った子供たちも、義務教育が終わると突然競争の世界に放り込まれることになります。受験は完全に競争の世界です。平等という名のもとに育った子供たちはこの突然の競争社会に戸惑ってしまい、中にはうまく適応できずにドロップアウトしてしまう子も出てきます。

社会に出ると、さらに競争は激しくなります。子供たちには平等を教えているにもかかわらず、社会全体は相変わらず競争を中心に回っています。

比べることの意味

女性の美しさを競い合うミスコンなども、平等の名のもとに減りつつあります。みんな同じという観念はこういった楽しみまで奪ってしまいます。

美しい人はそれだけで称賛されるべき存在です。しかし、これを奪ってしまうことに何の意味があるのでしょうか?

また、美しさを競い合うことの何が問題なのでしょう。もちろん、ルックスに恵まれていない女性もいるでしょう。これがコンプレックスになってしまうこともあります。

しかし、美女を称賛することによって、このコンプレックスが解消されるわけではありません。

美女率No.1のエリアはどこか、と考えていると「平等」といった問題にぶつかってしまいます。比べることが許されない現代は、このようなちょっとした楽しみさえ奪ってしまいます。

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